Dr.Nakajimaプロフィール 免疫治療専門医 Dr.中嶋
Dr.中嶋ブログ 不定期更新中!! 良寛の心
「がんが進んでしまっても長生きはできる」

「がんが進んでしまっても長生きはできる!」
中嶋靖児 著
ごま書房新社より好評発売中

群馬県の上毛新聞に取材掲載されました。

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伊勢崎産業会での講演が
上毛新聞に掲載されました。

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リンパ球免疫治療の講演が
新聞に掲載されました。

リンパ球免疫治療ー中嶋靖児公式サイトTOP免疫はがん治療の決め手大きな肝臓がんや転移した肺がんが消えた

免疫はがん治療の決め手
大きな肝臓がんや転移した肺がんが消えた

私が東京の病院に勤めていたときでした。平成7年12月、一人の年配の患者さんが奥さんと一緒に診察室に入ってきました。「先生、私は癌だったのですって?先生をさんざん探して、やっと見つけて来ました」。その患者は診察室に入って来るなり意気込んでこのように言います。

話をうかがってみると、その人は5年前に、肝臓癌でたしかに私が治療した患者です。私はその後、他の病院に移っていましたので、その後の患者の消息はわかりませんでしたが、5年経ってから私を捜して訪ねて来たのです。

本人の説明によると、2ヶ月前に交通事故で足を骨折したそうですが、そのときたまたま行なったCT検査で肝臓癌を指摘されたと言います。その肝臓癌はゴルフボールくらいの大きさで、手術は可能だということで手術を強く勧められたと言います。しかも、その病院は、癌の告知を直接本人にしてしまったのだそうです。

驚いたのは当の本人です。というのは、それまで本人には癌の告知は一切していなかったからです。もう骨折どころではありません。気が動転しているうちに、病院では骨折の治療をしながらも着々と手術の準備を進め、手術の日取りまで決めてしまったといいます。そして術前投与といって、大量の抗癌剤の注射までしてしまったというのです。

実は、この患者が5年前に私の治療を受けたときは、肝臓癌はあまりにも進み過ぎていたために、とても本人に病名を告げるような状況ではありませんでした。癌の告知はしていなかったのです。

本人は今回始めて自分が癌患者であることを知ったのでした。 患者は64歳で小さな会社の社長さんです。一番最初に肝臓癌と診断したのは地方の厚生病院で、そのときすでに肝臓にはリンゴの大きさの癌があって、病状はかなり進んでいたようです。

その癌に対してその病院の担当医は、抗癌剤による全身治療を行なったようですが、その効果は認められず、癌はますます大きくなっていったと言います。それに伴って、腫瘍マーカーのAFP(アルファ・フェトプロテイン)の値も急激に上昇していったといいます。

そのようなとき、患者の奥さんが、厚生病院の担当医に今後の見通しについて尋ねたそうですが、その返事が「いつ死んでも不思議はない」との事、驚いたのは当の奥さんです。しかも、そのとき娘の結婚式も間近に迫っていました。病状をたずねたのも、いったん家に帰らせてもらって、娘の結納式に出てもらおうと思ったからなのだそうです。

それからが奥さんの一大決心でした。どうせ駄目なら早いうちに娘の結婚式をすませてしまえというわけで、有無を言わせず夫を退院させてしまったそうです。肝っ玉かあさんここにありです。いざとなると女性の方が決断力に勝るようです。家では、娘の結納式ばかりか結婚式まですっかりすませてしまったそうです。

その人は上州の方で、上州魂ここにありでしょうか、すべては奥さんの独断専行で事を進めたようです。

そんなわけで、今回、交通事故で本人が肝臓癌と知るまでは、癌のことは一切、本人には知らせていなかったようです。 ところが今回、骨折の治療をしていた病院では、癌の告知を直接本人にしてしまったといいます。しかも告知を受けた本人は、家族に心配をかけまいと逆に、自分の癌を家族には一切伏せていたと言いますから皮肉なものです。後になってこのことを知った奥さんは、「あなたの肝臓癌は5年前からあったのよ」と叫んでしまったと言っています。

5年前、私は横浜のあるクリニックに勤務していました。そこはリンパ球を使ったがんの免疫治療を専門に行なう診療所で、進行したがん患者が全国から大勢集まって来ていました。そこに二人が訪ねて来たのです。娘の結納式ばかりか結婚式まで全部済ませた上で、リンパ球治療を受けるためにやって来たのです。

まず奥さんが先に診察室に入って来て小さい声で、「本人には癌とは言ってありませんから・・・・」と言います。私は診察を淡々と進め、血液検査もレントゲン検査も、本人に癌を悟られないように極めて事務的に行なったのを憶えています。

本人はと見ると、そのときは自分は癌患者とは思っていませんから、なぜこんな遠いところまでつれてこられたのだろうかと不思議に思っている上に、医師からもろくな説明もないと大変ご不満な様子でした。

話を聞いてみると、それまで治療していた厚生病院の前医は、私のよく知っている人でした。病状を問い合わせると、はじめから肝内転移もあって、癌に行っている動脈を詰まらせて遮断する動脈塞栓療法などの局所療法はできなかったと言います。そのために全身治療の抗癌剤の静脈注射を行なったとのことでした。

知人の前医は、薬の種類を変えて2回抗癌剤治療を行なったようですが治療効果はなかったようです。癌が更に増大するとともに、腫瘍マーカーのAFPの値もぐんぐん上昇し、ついには測定できる上限値にまで達してしまったと言っています。そのようなとき奥さんから今後の見通しについてたずねられたので、あのように「明日をもわからない命」と答えてしまったのだそうです。

私が勤めていた横浜のクリニックへの初診は平成2年9月14日でした。結納式も結婚式もすっかりすませた後でしたので、時間もたっていて肝臓癌は更に大きくなっていました。

CT検査やエコー検査では、肝右葉には大きめのリンゴほどの癌がありました。それに加えて、同じ肝内には数個の癌の転移巣も認められていたのです。 血液検査では、腫瘍マーカーのAFPの値は50000ナノグラムで異常に高い値を示していました。AFPの正常値が20ナノグラムですから、いかに高い値であるかがわかります。しかし、本人には特別な自覚症状はなく、ただ右の腹が少し張る程度でした。そこで早速リンパ球免疫治療を開始しました。

若い健康な人から150ccの血液を採血します。その血液に特殊な薬剤を加えて赤血球や血清をすべて除去し、その上でリンパ球を含んだ白血球層を遠心分離して採取します。残存する赤血球に対しては、低張液を短時間接触させて溶血させ、赤血球を完全に取り除きます。

更に遠心分離操作を繰り返して血小板などを取り除き、残存した細胞を等張液に浮かべて白血球浮遊液を作ります。これを患者に点滴で静注します。同時に漢方薬の補中益気湯を一日7.5g、一日3回に分けて毎日服用するように投与しました。当日行なった治療はこれだけです。

第二回目の来院は、一ヵ月後の10月17日でした。エコー検査では癌の大きさには変化はありませんでした。肝臓癌は前回と同じく肝右葉の中心部に鎮座しています。「まだだめだな」と思いながらも「一ヶ月では無理もない」と自分に言い聞かせていました。第二回目も一回目と同じ治療のリンパ球の注射と漢方薬の投与です。同時に血液検査も行いました。

AFPなどの腫瘍マーカーの検査は院外の検査センターに依頼します。結果が出るのに一週間はかかります。ところがです、そのとき帰ってきた検査結果を見て驚きました。はじめ50000あったAFP値が2900に下がっています。いくらなんでも下がり過ぎです。もしかすると別人のデータが紛れ込んでいるのかもしれない。いや、何かが起こった可能性もある。私はいろいろなことを考えて自問自答していました。

こうなると、三回目の治療はこちらが待つ心境です。電話で来院する日を確認して、さらに一ヵ月後の12月11日、第三回目の治療です。今度こそはと思ってエコー検査の写真を見ると、予想に反して何の変化もありませんでした。 大き目のリンゴの大きさの肝臓癌はそのままでした。私の落胆した心を奥さんに悟られないようにと、かえって作業は淡々と進めました。前と同じようにリンパ球の注射と漢方薬の処方です。血液検査の伝票のAFPの項目にマルをつけるときは、「あのAFP値の急減が本物でありますように」と祈るような気持ちでした。

本人はと見ると、その時も迷惑そうな様子で、「この忙しいときにこんな遠くにまで来るなんて」と思っているようでした。何回もレントゲン写真を撮ったり、エコー検査で癌病巣をながめていれば、たいがい自分が重病であることに気づきそうなものなのに、とは思ってはみても、どうもこの調子では本人は癌だとは気付いていないようです。何時もと全く同じ態度です。

しかし、本来サラッとした気性の人のようで、口ではポンポンといろいろなことを言いますが私の方はひとつも不快な感じを受けません。それでも奥方の方は、私に気を遣って気が気ではなかったようです。それにしても、いやがる夫を治療のためとはいえ、上州からこんなに遠くの横浜までつれて来るのですから、上州の奥様方の力は絶大です。さすが・・・・です。

一週間後に検査結果がきました。今度はAFP値は5.4で前より更に下がっていたのです。正常値は20以下ですから完全に正常値です。「ヤッター!」 思わず心の中で叫んでいました。たったの3ヶ月で、50000ナノグラムと極端に高かったAFP値が正常値になっていたのです。

今度こそ間違いない。この間にしたことと言えば、たった三回のリンパ球注射と毎日服用した漢方薬だけです。それ以外は何もしていません。抗がん剤も放射線も使ってはいないのです。一体全体、体の中で何が起こったのでしょうか。

しかし、エコー検査では、今回も癌の大きさは不変でした。最初と同じように肝右葉の中心部には大きめのリンゴの大きさの癌が相変わらずデンとすまして座っています。それなのにこの癌はすでにAFPを作っていません。癌は体があっても仕事はしていないのです。

もしかしたら、これはもうすでに癌ではないのかもしれない。私はただ単に癌の亡骸(なきがら)を見ているだけなのかもしれない。それとも、癌は眠ったふりをしているのだろうか。私は今までこのような症例を見たことがありません。しかし、あり得ないことではない。このように考えると、夢は無限にふくらむのでした。

第四回目の来院は翌年の平成3年2月12日でした。そしてこの時ついに、癌は縮小していたのです。エコー検査では、肝臓癌は「くるみの実」の大きさに縮小していました。しかもその像は黒くて均一で、中は液状になっています。癌は溶けて大部分は吸収され、まだ吸収されていない部分が囊胞状(のうほうじょう)となって写っていたのです。

今度こそ本物です。癌の形と機能が一致して減少したのです。それは第一回目の治療を開始してからちょうど五ヶ月目のことでした。

本人は自分の癌のことを何も知らないのですから、ここで急によろこんで説明するわけにはいきません。実に残念ですが奥さんだけにそっと目配せしてニンマリするのでした。しかも同時に測定したAFP値は1.0であることが後でわかり完全に正常値です。肝臓癌はここにきてはじめて、身も心も溶け出したのでした。

ここまでくればもう安全です。患者自身の体の中に癌細胞を攻撃する自前の体制が出来上がっているはずです。あとはこの体制を維持するだけです。

最後のだめ押しの治療は、その5ヵ月後の平成3年7月5日でした。検査の結果、肝臓癌は前回と同様良好で縮小したままです。AFP値も1.2で正常値のままです。以上で治療は終了です。

これらの一連の現象に一番感激したのは、案外、私自身なのかもしれません。抗がん剤や放射線の治療でがんが縮小した例は今までにもたくさん見てきました。しかし、今回のように、AFP生産停止というがんの機能が先に止まり、しばらく後にがんが縮小するという姿をこのようにはっきり見たのは初めてです。

しかも、直接がんを縮小させる抗がん剤も放射線も使っていないのです。 頭の中では考えられないことではありませんが、がんの機能と形態がはっきり乖離(かいり)して変化していたのです。癌は存在したままであっても、その癌は癌の働きをしていなかったのです。

他人のリンパ球を注射し、それに漢方薬を与えただけでこれだけの現象が起こっていたのです。 考えてみればみるほど非常に興味ある現象です。とは申しましてもその当時、まだ癌を告知していない本人に対して、こんなことを説明できるはずはありません。せめて「これで今回の治療は終了です。あとは半年に一回は見せてください。そのときまた注射をします」と言うのが精いっぱいでした。

私はしばらく後に、この肝臓癌の機能と形態とが分かれて変化した点を強調して、学会誌にこの症例報告の論文を書きました。そのとき、リンパ球免疫治療後の患者追跡調査で家に直接電話しましたところ奥さんが出て、当人は元気で働いていることを知り、その旨も論文に記載しました。

その後、私はそれまで勤めていた横浜のクリニックから東京の病院へ移っていましたので、その患者とは音信不通でしたが、平成7年12月末、5年ぶりの再会です。骨折を治療した病院で癌は告知され、奥さんと一緒にギブスをはめたままで私を探しあてて来院してくれたようです。実にありがたいことです。今回は自分から率先して来院したそうです。

奥さんの話では、そのとき結婚された娘さんの子供がちょうど五歳になると言います。少し日数が合わない気もしますが、 ま、そんなことどうでもよいことです。なつかしさでいっぱいです。二人はここにたどりつくまでのエピソードをいろいろと話をしてくれました。そして一緒についてきていた娘さんは、私にそっと「この五年間だけでも感謝しています」と小さな声で話すのでした。

CT検査では肝臓癌はやはり再発していました。最初の肝臓癌の近くにはゴルフボールくらいの大きさの癌が確かにあります。それに、よく見てみると、ごく小さな癌は肺にも多数転移していたのです。

私は「柳の下のドジョウ」をねらって再度、挑戦することにしました。それにしても六ヶ月に一度ずつの追加治療は是非しておきたかったなあとしみじみ思うのでした。

実は、その患者さんが東京の病院に来院した時は、すでに大量の抗癌剤の投与を受けた後であったのです。残念ながら再びリンパ球免疫治療をしてもその効果は見られませんでした。柳の下のドジョウはいなかったのです。

しかし振り返ってみると、一時は、大きな癌が肝臓の中にあったままであっても、その性質が変化して機能は停止し、体に害を及ぼすことのない癌に変身していたのです。命を脅かすことのない癌になっていたのです。

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